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今日は社長に退職したいことを伝えました。
本当の気持ちを言えたと思います。
人は誰もが思い込みの世界に住んでいる。
今までは自分を必要としくれる人や場所を探していた感じだけれど
これからは自分で居場所を作って行くんだと思う。
そして自分が必要とする人たちや空間、物(経済的なエネルギーも含む)etcが集まってくる!
そんなビジョンが見えてきた!
楽しみだな、ワクワクするね!
納得するまで。
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今日も訪問看護のお仕事。
ただ今日は天気のせいか、頭がスッキリせず
朝イチの訪問ではいつもより丁寧な対応ができなかったんです。
やっぱり利用者さんにそれが伝わるのか
別れ際寂しそうというか
失望されたというか
そんな態度を取られてしまいました。
自分だって疲れていて完璧じゃない時もあるよ!
全部の期待に応えるのなんて無理!
と心の中で叫んでしまい、自分を正当化している自分がいて。
でも夕方今日の訪問業務が終わり
ホッと一息ついた時に
これってわたしが自分を守ってくれて導いてくれている見えない存在たちに対しての
態度と同じではないか時がつき
わたしが何もできないと落ち込むたびにそれらの存在も今日のわたしのような虚しい気持ちになってしまっていたのなら、とても申し訳ないという気持ちになったのです。
全てのことはいつも君次第さ〜♪
という歌詞フレーズが夕方から心に流れてくるのはそのせいだ
もう自分以外の誰かの態度や言葉で揺さぶられないで過ごしています
おかげさまでそうなりました
ありがとうございます。
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今は幸せに暮らしている。
仕事も恵まれている。
ただ自分の気持ちがそれについていかない。
もう身を粉にして誰かを喜ばせたり期待に応えるるのではなく
自分自身がやりがいを感じたり楽しいのかがやっぱり大事なんだと。
今まではそれを感じていたのだけれど
職場にも利用者さんにも感謝の気持ちを持ってしていたのだけれど
最近仕事に感じなくなってしまった。
正直今の仕事はわたしの代わりになり人はいるのだ。
それがいつ現れるかは天にまかそうと思う。
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何となく小さい頃から女社長になりたかった。
というか、なりたい理由も無く、そうなるものだと思っていた。
そしてなぜかお母さんにはならないとも理由もないのに口走っていた。
やはりこれが魂の叫びという物なのかな。
今、勤めている会社には感謝の気持ちはもちろんあって
会社なりに精一杯大事にしているつもりなのも分かる。
ただ従業員という立場や会社の方針に心が動かなくなってしまっているのも事実。
とにかく今は今のこの時を楽しみ面白がって笑い飛ばしていよう。
そしてアンテナは研ぎ澄ましていよう。
なんてたって愚者が一番勇者だから。
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最近無事に仕事が終わると心底ホッとする。
お産を取り上げた後の気持ちに何となく似ているが
考えてみると
精神科の訪問看護というのは
相手の価値観にそぐわない言動をとってしまった時の恐怖であり
お産の介助の緊張感とは全く違う物なのだと思う。
そう考えたら訪問に入る緊張感って何だか馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
もちろん利用者さんに対してのリスペクトは持っているし
それが伝わるように誠実な態度を心がけている。
利用者さんの存在であれこれ心配になったり不安になって
自律神経失調症になるのって
心因的精神障害ではないか。
最近の自分を反省。
明日からは自分軸を持ち、相手の言動で一喜一憂しないで過ごしていこう!
大事なのは自分がユーモアな一面を忘れずに
状況を面白がれる精神を持っているかだと思う。
口角を上げて過ごしていこう!
流れに身を任せて生きている
正直この人生は顕在意識的にはノープランである
人生の要所要所で自分を導く人が現れ
行くべき道に行けるようサポートしてくれる人がいた。
自分から流れを作ろうとしてもその流れが続かないのだ。
でも流れが変わる潮目はわかるのだ。
自分が何者かは誰も教えてくれない
潜在意識の自分が導いてくれるのだろう
でもわかるまで、分かってからも
このために生まれてきたと実感していたいな。
笑うため?面白がるため?愛のため?